2010/07/19

シュガーとわたしPrt2 始めてのジャマイカ

1980年後半あのころジャマイカは遠かったなんせ1円=250円
皆様知ってますか1971年までは円は丸いせいか1円360円で変動しなかったんですそれでも1985年はまだ1円250円
高い
しかもジャマイカの情報は何もない
どうやって行くのか ホテルさえわからないガイドブックもない
その時期たった1社ジャマイカツアーを行っていたのは2年前つぶれたアイランドツアー
そしてそのアイランドがやっているジャマイカさんすぷ拝聴ツアーこれしかないわけです
ツアーで行くとやく10日間で50万・・・ソン何無理
しかもその時期にほんーNYの航空運賃のみでも30万そこからNY-ジャマイカg10万
なんと航空運賃のみで40万するんですよ
ジャマイカは夢の島 一手みたいな夢の島でした
本当に
うちらの情報源といえばその夢の島に行った人に情報を聞きまくる。たとえばホテルとかショウとかダンスとかそしてお土産といえば最新の7インチとサウンドカセットテープとダンスのテープ
イヤーこれを見まくりききまくる訳ですよ
そんなこんなで
実はわたし大学を半年留年しまして、6月卒業したのですが国家試験までの9ヶ月間暇になったのと親が欠けてくれていた保険金の満期で100万ゲットで〔このお金は何に使ってもいいって言われたので)初めての海外ジャマイカに行くことしたのですよ
1987年スーパーキャット ブーブスが全盛期
とりあえず英語がまったくしゃべれない(理系で英語は苦手)のでまず1ヶ月NYの大学付属の英語に小留学。
NYではそのころ本当に怖かった地下鉄でスタテンアイランドの学校の寮からブルックリンにかよい、スパーパワーレコードでは今はなきトーヤンがいたり、日本人なんて誰もいなかったビルとモアボールルームのダンスに出かけマイキーじゃレットと再開したり毎日WVBLSギルベイリーショウをカセットにとってダンスをチェックしてましたそして
その後頼みの綱ゲットー君とNYで待ち合わせ1987年12月頭夢の島ジャマイカに行ったわけですね
ついた先はゲットー君お勧めのネグリル
ホーンと平和なビーチ村ここで1ヶ月すごしたわけですが
アレーユースプロモーションも見れない???あの当時NO1だったストーンラブやメトロメディアも見れない・・・何だこれっていう話で地元のネグリルの人たちが
キングストンは危ないよ 身ぐるみはがされるよって言う話も聞かずゲットー君とはなれひとりキングストンに向かうことにしました。
頼りはネグリルで知り合った日本人の人が教えてくれたニューキングストンの安宿ミセスジョンソンとその人たちが教えてくれた日本人の彼女がいてとってもいい人というテックスという人(実はラガマフィンセキュリティーって言うやくざだったのですが)テックスを頼っていったらダンスにいけるってだけでネグリルを後にキングストンに
この時期のジャマイカはユースプロ」などのラバダブセットはもうすたれていて、シティセットノストーンラブやメトロメディアが花ざかり
水曜は トロピックスと言う」ニューきんのクラブでストーンラブ
木曜はアルマンタウンというメトロの地元でメトロメディア後金曜はハーフウエーツリーのスケートランドがいけてました
いやキングストンの面白いこと面白いこと
このジャマイカではユースプロモーションのサウンドももうプレイしていなかったので結局巣がーには合えなかったのですがね
このジャマイカ旅行が引き金でこのあとNY留学、ジャマイカ移住をすることになるなんて夢にも思いませんでした

2 件のコメント:

カツシン さんのコメント...

懐かしい、20年前の記憶が昨日の様に蘇ります
よくNYで遊びましたね

カツシン

匿名 さんのコメント...

1円が250円?
意味がわかりません